■ 2004.8.2 Mon.
 10時から常盤木学園。梅田俊明さんが東京からわざわざ来て下さった。夕方6時過ぎまで、私などが見たこともないような見事な指導をしてくださった。若い指揮者たちにとっても得がたい経験だったに違いない。私もレッスンをしてもらったような気分。実はスタジオへの出発直前に、今回特別参加の形で指揮していただく予定の、カン・ソクヒさんがお腹の具合が悪いというので、家内が仙台フィルがいつもお世話になっている白根先生に診察をしていただくのに同行した。検査していただいたら十二指腸潰瘍から大量に出血していることがわかって、直ちに入院施設のある救急病院をご紹介くださって、その病院へタクシーで急行。そこで緊急処置、そして入院と決まったのは夕方で、いわば大事件の起こった忘れがたい一日となった。家内は緊張、心配その他で勿論くたくた。申し訳ない。

■ 2004.8.3 Tue.
 10時から13時、指揮者たちと勉強。松元宏康さんに毎日手伝っていただいている。5時45分、荒町の毘沙門様の境内、恒例の仙台フィル星空コンサートのサウンド・チェック。屋根も囲いもない舞台だから夕日がぎらぎらで暑いし、眩しい。開演は6時半、村松副理事長ご夫妻も来て下さったし、韓国の人たちもみんな楽しそうに聴いてくれた。昨日入院したカンさんは家内とパク・ウンソン夫人などが迎えに行って夕方、ホテルに帰ってきた。今夜も彼は勿論流動食。

■ 2004.8.4 Wed.
 10時から6時まで練習。指揮者たちも緊張感が高まっているが、だからといって全部がうまく行っているわけではない。この4日間、ずっと付き合ってくださった2人のピアニストとは今日でお別れ。

■ 2004.8.5 Thu.
 午後1時、青年文化センターで若い指揮者たちと仙台フィルの初めての練習。指揮者たちは勿論極度の緊張状態、顔も引きつりっぱなしだが、オーケストラがとても協力的に好意的に彼らを助けてくれている。ありがたいことである。

■ 2004.8.6 Fri
 今日はヒロシマの日。忙しい日常に流されて忘れてはならないことを忘れかけるのは恐ろしい。10時30分から仙台フィルの練習、2日目。指揮者たちは少し慣れてきたが、それだけに弱点欠点もはっきりしてきた。明日の音楽会では彼らが望んでいることがはっきり表現できるようにと願うばかりである。仙台にコンサートホールが欲しいというのは私たちだけでなく、ずいぶんたくさんの人たちの望みである。近い将来にそれが実現するように、何か良い方策はないかとずっと考えているのだが・・・・・・・。

■ 2004.8.7 Sat
 10時半から最後の練習、指揮者たちはどうやらそれぞれ秘策を練ってきたようである。音楽会の開演は2時。伝統の「七夕祭り」の最中なのにほとんど満席のお客様にお出でいただいた。指揮者たちの精一杯の熱演は客席にも伝わったと思うが、昨日一昨日の練習を含めて、この演奏会まで実に細やかな配慮と適切な助言で指揮者たちを支え続けたオーケストラに敬服する。さぞ疲れただろう。終演後、会場内のレストランで簡単なパーティー。故・林 元植先生もさぞお喜びであろうと先ず先生に乾杯した。

■ 2004.8.8 Sun.
 久しぶりに寝坊した。家内は過労のせいか具合が良くない。明日、大阪で「第9」があるので2時からホテル近くのスタジオを拝借して家内の発声練習。歌っているうちに少し元気になってきたようである。

■ 2004.8.9 Mon.
 同じような時刻に空港に向かう韓国の人たちとホテルの玄関でお別れの挨拶をした後、新幹線を乗り継いで大阪へ。グローバルピース・コンサートの会場にぎりぎりに到着。すぐに「第9」の独唱者たちとピアノで練習。日本で働いているという外国人のバリトンがドイツ語の発音も、音程も、発声も何もかも酷い。楽譜も読めない、指揮も見られない。しかし、試してみるしかない。5時過ぎから合唱オーケストラと一緒に練習。酷さはますますはっきり。練習後、これでは責任が持てないと主催者に通告。合唱の指導で会場におられた橘 茂さんに無理にお願いして代役をお引き受けいただいた。突然のことだからポロシャツと普段着のズボン。大熱演であった。合唱とオーケストラが特に素晴らしい演奏。終演後、公式の打ち上げパーティーは失礼して亀井正比古さんご夫妻と食事。久しぶりにゆったりと疲れが癒される時間だった。今日はナガサキの日。この日に美浜原発で4人死亡という大惨事が起こった。それについて関西電力副社長の談話の冒頭も、総理大臣の談話の冒頭も「残念です」という訳の分からないもの。理解に苦しむ。