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■ 2004.5.10 Mon. アメリカ軍がイラクで行っている拷問が明らかになっている。「湾岸戦争」の捕虜を、正視するのが辛いような状態で連行しているアメリカ軍の映像をテレビで見た時、世界中が不安と疑問の声を挙げるかと考えたが、そうはならなかった。そしてこんなにも時間が経ってから更に酷い事態になってしまった。チェチェンで大統領まで亡くなるようなテロがあった。その日、5月9日が対ドイツ戦争の戦勝記念日だとニュースの中で聞いて、1960年代のその日にソヴィエト連邦時代のロシア、スウェルドロフスクという町に居たことを思い出した。翌日から私と練習する筈のオーケストラの演奏会でショスタコーヴィチの交響曲を聴いていた夜8時、突然、町中の教会の鐘が鳴り響いた。それが戦勝記念日のお祝いの鐘、第2次世界戦争の実質的な終わりの喜びの鐘なのだと聞いた。ヒロシマ・ナガサキを忘れることのできない私にとって、どこの誰であれ戦争に勝ったぞ、と言って喜ぶ人たちを見るのは何とも説明のしにくい思いであったが、私たちの8月15日、大人たちは今まで重く垂れ込めていた黒い雲が突然晴れて、真っ青な、限りなく澄み渡った青空に眩しく輝く太陽を見たような気がした人も少なくなかったはずである。軍国少年であった私は「天皇陛下の御為に」死ねなかった自分が情けなく、悔しくて涙を流した。しかし、後になって冷静に当時を振り返ると世界中が、遂に地上に平和が来たのだと信じ、或いは、そう信じたいと思って抜けるような青空を見た瞬間だったのである。それなのに、その僅か数ヵ月後にはもう戦争が始まってしまう。今日は私の誕生日、戦争を体験した人間の一人として、どんな理由があろうと戦争には反対であると言い続ける。 |
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■ 2004.5.11 Tue. 隠岐から岩牡蠣とサザエ、地酒など、たくさん送ってくださったので親しい友人3人に我が家に集まっていただいた。岩牡蠣は特に今が旬なのだそうで、私たちが知っていたようにブヨブヨしたものではなくて、しゃきっと歯ごたえのある比べ物ない美味、サザエも獲れたてだからでもあろうか、味も香りも言葉が見つからないような味わい。みんな大満足で楽しいおしゃべりが続いた。 |
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■ 2004.5.12 Wed. 約束している原稿の締め切りは過ぎているのに催促がこないという、それはそれで不気味な状態が続いている。5500字から6000字という数字のプレッシャーで書き始めなかったが、始めてみるときりもなく思い出すことが多くて、音楽の世界で経験してきたことの重大さに改めて気づく。フルートを巡る全てを思い出したい。 |
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■ 2004.5.13 Thu. 今日も一日中原稿のことを考えているが、そんなに思い通りに進行するわけもない。フルート、フルート、フルート、・・・・・と溺れているような感じ。 |
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■ 2004.5.14 Fri. 夕方の新幹線で仙台へ。いよいよ明日から第2回仙台国際音楽コンクールである。心配と言うのではないが運営委員長という立場を考えると何しろ責任重大、緊張しているのが自分でも判る。 |
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■ 2004.5.15 Sat. 何だか熟睡できなかったような気分のまま、9時半には会場着。世界中から集まってきた審査員たちも10時には到着。初対面の人たちも、旧知の友人たちも、さあ、新しい出発という感じ。今日から3日間はヴァイオリン部門の予選である。前回の予選は弦楽四重奏と共演してもらったのだが、今回は弦楽四重奏プラスコントラバスの五重奏との共演でハイドンのハ長調協奏曲全3楽章が課題。応募した若者たちの幸運を祈る毎日が始まる。遂に完成した原稿を家内がパソコンを操って清書してくれた。何しろ長編なので大仕事だったようである。申し訳ない。 |
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■ 2004.5.16 Sun. 予選二日目。細かいことに気を配っていると、案外ぼおっと見物しているわけには行かない。昨日も今日も、たくさんのお客様にいらしていただいた。ありがたいことである。 |
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