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■ 2004.4.13 Tue. 夕方、石井啓一郎さんと啓子さんが遊びに来てくださる。石井さんからは、いつも採れたての野菜をたくさんいただいているし、いろいろな種類の唐辛子も頂戴する。そのたびに家内は石井さんのような生活は素晴らしいなあ、と羨むことしきり。私もまったく同感だから何とか、そのうちに山小屋を作りたいと思うのだが仲々計画は進まない。 |
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■ 2004.4.14 Wed. 風邪が抜けないのでお医者様から頂戴した薬を飲み続けているせいか、1日中ボーッと座っている。こんなことではいかん。 |
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■ 2004.4.15 Thu. 午後の新幹線で仙台へ。仙台の桜も咲いてだいぶ暖かくなっている。夕方、中川基行さん、梅田俊明さんと3人で仙台フィルのことをいろいろと話し合った。夜のテレビで拘束されていた3人の方たちが解放されたことを知る。心配で必死に援助を訴えているご家族に向かって様々な誹謗や中傷や攻撃があったと聞くと、本当にやりきれない思いである。政府高官の発言もまったく人間らしい感覚や感性が欠如している。有事の際に国民を守る、という言葉があちこちで飛び交っているが、この国では誰も無名の市民を守らないことの明白な証明を突きつけられたような気がする。 |
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■ 2004.4.16 Fri. 2時、もうすぐ始まるコンクールについて、仙台市の担当の方たちと大小様々なことについて打ち合わせ。3時半から梅田俊明さん指揮、シーズン・オープニング・コンサートの最後の練習。ヤナーチェクのアダージョは私が不勉強で聴いたことがなかった作品。音楽会の開演は7時。ドヴォルザーク「謝肉祭」序曲の活気に溢れた演奏で始まり、チェロ協奏曲の独奏者は石坂団十郎さんという1979年ドイツ生まれの素晴らしいチェリスト。音色も音程も勿論だが、音楽全体が素晴らしい。この次日本で演奏なさるときには是非また仙台フィルにもいらしてくださるように約束した。お客さまにも盛大な拍手とブラヴォーをいただく。ヤナーチェク「シンフォニエッタ」の大音響は、このコンサートホールでは無理という感じ。今となっては、もう私たちも遠慮しているだけではすまないから、仙台にもコンサートホールを作ろう、と積極的に申し上げる必要がある。私たちの現在の本拠地、仙台市青年文化センター・コンサートホールは素晴らしく柔らかい美しい音響のホールで、私たちはここで演奏できるおかげで力まずに発音することや響きを大切にすることを学び、貴重な経験をたくさん積み重ねることができた。しかし、客席数800はあまりに少なく、舞台面の広さも大編成のオーケストラにとってはあまりに狭い。2001年の第1回仙台国際音楽コンクールがこのホールで行われた時、外国から来た審査員の何人もが、全ての面で素晴らしいコンクールだった、あとは仙台にコンサートホールが必要だと私に語った。「コンサートホール」という名前の場所に居ることを勿論知りながらである。私たち仙台フィルが日常感じていた「ホールがほしい」ということは間違いでないことを知ったのである。 |
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■ 2004.4.17 Sat. イラクで人質になっていた2人の日本人も解放された。ここ数日、私自身もいろいろなことを考えながら新聞を精読している。 【投書欄の意見】 「テロに屈するな」と言う言葉を繰り返し耳にする。反論の余地はないような言葉である。テロとは容認できない暴力だから?でも、それを言うなら「全ての暴力に屈するな」と私は言いたい。テロと戦う名目のもと、武力や暴力をつかっては、その戦いが終わる日など、来るのだろうか。 【前田哲男さん(安全保障論)の意見】 ファルージャでの掃討作戦以降、米軍によって多数の市民が殺される事態への注目が高まり、宗派の垣根を超える形で反米化・過激化の流れが進んでしまった。「ファルージャを救え」という旗印のもと、反発と抵抗の動きはイラク全土に及んでいる。日本は今後イラクにどう関与すべきか。私は第1に、イラク特措法に従って自衛隊を撤退させるべきだと考える。最低でもクウェートへ避難させるべきだろう。特措法は、戦闘に直面することが予測される際の自衛隊の対応について「一時休止」「避難」「中断」を定めている。自衛隊を狙った迫撃砲攻撃もあってサマワの部隊は既に事実上、宿営地内へ避難し、任務を一時休止してきた。だが、これでは不充分だ。戦争状態のイラクに隊員を残し続けてはいけない。軍隊を運用する場面では、法治国家の原則がとりわけ貫徹されなければならない。間違っても、既成事実に流されたり米国の顔色を窺ったりして、法に定められた規定を軽視してはなるまい。復興支援を行うことができるのはイラクに「戦後」が訪れてからだ。 【小倉利丸さん(経済学)の意見】 外務省の竹内行夫事務次官はNGO活動について「自己責任の原則を自覚して、自らの安全を自ら守ることを改めて考えてもらいたい」と述べた。この「自己責任」論は一見、判りやすい正論のように見える。しかしこの発言は、政府がNGOの活動の安全に責任を負わないと述べたに等しい。人質の命が失われても政府には責任は無いと言っているのである。私は日頃、開発援助や人権・平和に関するNGOのネットワークを作る仕事をしているのだが、戦争となると国家はこれほど過酷な仕打ちを国民に与えるものなのか、という思いを禁じえなかった。政府は、自己責任論によってNGOなどの活動に「無謀」との印象を与え、あたかも自身が「事件の尻拭いをさせられた」被害者であるような印象さえ与えている。更に気をつけておくべき点は、こうした主張をしている日本政府がイラク戦争の一方の当事者である、という事実だろう。そこでは、戦争の当事国から独立したNGOならではの活動が正当に評価されていない。考えてみてほしい。果たして自衛隊や政府が今、劣化ウラン弾の被害調査や貧しい子供たちへの支援をできるだろうか。ファルージャでは無差別とも言える米軍の攻撃によって、多数の子供や市民が犠牲になっている。もし現地にジャーナリストが居なければ、こうした事実は隠されたままで終わるかもしれない。日本政府はイラクへの渡航を禁止したいようだが、それはイラクの密室化にも繋がるのだ。 私(外山)はこのような意見に同感している。 |
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■ 2004.4.18 Sun. イスラエルが新しくハマスの指導者になったばかりのランティシ氏を殺害した。何と言うことか。悲しい。そうとしか言いようが無い。 |
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