|
■ 2004.1.7 Wed. 毎年恒例のニューイヤー・コンサート盛岡公演(正式名称は「名曲コレクション」)。例年は駅前のホールに向うほんの短い距離も雪が積もってそれが凍り、その上を冷たい風が吹き抜けているのに、今年は空は真青で好い天気、雪は全くない。14時30分から会場練習、開演18時30分。よく響くホールで演奏できる楽しさを満喫、新幹線で仙台へ戻る。 |
|
|
|
■ 2004.1.8 Thu. 16時30分から電力ホールで練習、19時開演で「藤崎」のニューイヤー・コンサート。仙台フィル主催ではないので一般の音楽好きのお客様から仙台フィルはニューヤーの楽しいコンサートをやらないのか、と時々お尋ねを受ける。このホールは今となっては舞台が余りに狭い。 |
|
|
|
■ 2004.1.9 Fri. 16時30分、福島市音楽堂で練習。18時30分開演で「名曲コレクション」。毎年仙台、福島、盛岡で同じ曲目で新年のコンサートをやらせていただけるのはオーケストラにとって非常にありがたい。盛岡と福島は主催公演だから事務局の苦労は多いだろうが、名曲の小品を並べて楽しんでいただくこのような演奏会を続けることが、オーケストラの充実や発展に繋がっていく部分もあると私は考えている。 |
|
|
|
■ 2004.1.10 Sat. 新幹線で帰京。夕方、アメリカでの予選から帰ってきた仙台国際音楽コンクール事務局の小林 仁さんに会う。 |
|
|
|
■ 2004.1.11 Sun 12時、NHK交響楽団で「尾高賞」の審査。岩城宏之、若杉 弘両氏に久しぶりに会う。仙台フィルが演奏した初演作品が多数ノミネートされていて、初演魔の岩城に褒められた。 |
|
|
|
■ 2004.1.12 Mon. ヴァイオリン独奏とオーケストラの「悲歌」の改作に手をつける。気に入った旋律にいつも美しい和音を付けてしまうのは私の弱点。 |
|
|
|
■ 2004.1.14 Wed. 午後、中川基行さんに同行していただいて、8月に予定している韓国の若い指揮者たちと仙台フィルが共演する音楽会の支援をお願いに「民音」へ行く。大変お世話になった林 元植先生のご遺志を継いでこの演奏会を何とか実現させ、成功させたい。冷たい風が1日中強い。 |
|
|
|
■ 2004.1.15 Thu. 夕方の新幹線で仙台へ。 |
|
|
|
■ 2004.1.16 Fri. 13時からイズミティ大ホールで仙台フィルの練習。「福寿司100周年コンサート」だが、たくさんの曲目で長大なコンサート。独奏はヴィーン・フィルのコンサートマスター、ライナー・キュッヒルさんでブラームスの協奏曲。この演奏会は一部分を小林研一郎さんが指揮する予定だが、練習にみえるのは明日の午後だそうである。 |
|
|
|
■ 2004.1.17 Sat. 10時30分から練習。何しろ曲目が多いので要領よく練習したつもりでも、練習時間をぎりぎり最大限使うことになった。昨晩から主催の岩渕さんのご意向で仙台最高と言われているホテルに移ったが、住み慣れたホテルと勝手が違って何だか落ち着かない。 |
|
|
|
■ 2004.1.18 Sun. 13時開演で「福寿司100周年コンサート」。鈴木健二さんの司会、満員のお客様、著名な方たちもたくさんおみえだそうである。演奏が全部終ったのが17時少し前という異例の長時間の演奏会になったから、アンコールにクライスラー編曲の「ロンドンデリーのうた」を奏いたキュッヒルさんは舞台に出ながら、本当に演奏してもいいのか、大丈夫か、と何度も私に訊いた。オーケストラがこんなに長い演奏会をやる例は世界にもあまり無い!!!頑固に食文化の伝統を守っているお寿司屋さんの100周年、そのご当主夫妻の金婚式、その上ご当主の喜寿が重なったという御めでたい機会ならでは、ということだろうか。 |
|
|
|
■ 2004.1.19 Mon. お昼の新幹線で帰京。夜、新しく生まれ変わった日本指揮者協会の会合に伺って名誉会員という称号をいただく。朝比奈 隆会長時代に朝比奈先生を補佐できればと副会長というものをお引受けしていたから、その時代の指揮者協会は退会しているのだが、だから新しい協会のことは知らぬというわけにもいかんだろう、とただそれだけの理由で称号を頂戴した。若い方たちが元気よく活動しておられる様子だから、きっと新しい流れは立派に育つのだろう。 |
|
|
|
■ 2004.1.20 Tue. 夕方、仙台で「オーケストラと遊んじゃおう」の会議に出席する予定だったが、風邪気味で珍しく身体が重い感じで欠席させてもらった。申し訳ない。 |
|
|
|
■ 2004.1.21 Wed 夕方の飛行機で金沢へ。着陸した時は雨で、なんだ、この時期の金沢で雨か、などと思っていたら間もなく雪になった。激しく降り続いて風も強い。ホテルの窓から見ているだけで猛吹雪のような感じ。 |
|
|
|
■ 2004.1.22 Thu. 雪は降り続いている。今日からアンサンブル金沢の練習。ホテルから通りひとつ隔てたホールへ行くのも大変なほど雪が積もっている。東京から来るはずのエキストラの人たちは飛行機は欠航、電車も運休や遅れが続出で誰も来ない。市内在住の団員の中にも車を出せなくて動けない人が出ている。コンサートマスターは発熱で欠席。さんざんな状態で1時から練習。独奏の西江辰郎さんも飛行機は諦めて電車に乗り換えたのだが、それが越後湯沢で止まってしまって来られない。金沢でもこんなことは珍しいというが、そういう時に居合わせて好かったと思うべきかどうか。 |
|
|
|
■ 2004.1.23 Fri. 10時から練習、ようやく全員が揃った。ハイドンの交響曲「アレルヤ」、こういう小編成で、このような響きの良いホールでやると素晴らしい。西江さんのプロコフィエフ「協奏曲第2番」はしっかりさらい込んである。こういう演奏を聴くと、西江さんはもしかするとコンサートマスターより独奏者向きなのではないかと思う。R.シュトラウス「町人貴族」は少しずつオーケストラにゆとりが出てきたのが判る。今日も激しい雪。 |
|
|
|
■ 2004.1.24 Sat. 10時から練習。西江さんは非常に細かい点にまで神経が行き届いている。音質、音色も素晴らしい。このプロコフィエフ、たった1回ではもったいない。コンサートマスター、マイケル・ダウスも少しシュトラウスらしくなってきた。 |
|
|
|
■ 2004.1.25 Sun. 10時半から最後の練習、開演は2時。今日はようやく雪が小止みになっているが、足元があまりに悪いからお客様は少ない。でも面白い演奏会だったのではないかな、と私は密かに思っている。西江さん、絶対、独奏者としての活動を主軸にすべきである。このプロコフィエフだけでも世界中を歩ける。 |
|
|
|
■ 2004.1.26 Mon. 家内とずっと心配し続けていたが、飛行機は予定通り飛んで午後、無事東京に着いた。 |
|
|
|
■ 2004.1.27 Tue. 11時05分、羽田発の飛行機でソウルへ。成田より羽田の方がうんと近いし、ソウルもインチョン空港でなくてキンポ空港というのは市内に近い。これは便利かと思ってこの便を試したのだが、プレハブのような小屋で出国手続きは延々長蛇の列で時間がかかり、待合室もお粗末、私たちはやはり成田を選ぼうと家内と決めた。夜、韓国指揮者協会の友人たちと食事。 |
|
|
|
■ 2004.1.28 Wed. 9時ホテル発、朴 恩聖氏の運転で水原へ。水原交響楽団の人たちと久しぶりに会う。今日から4日間は水原交響楽団の協力で行われている若い指揮者たちのためのセミナーを見学する。講師は朴 恩聖氏、チョン・チーユン氏、チェ・スンハン氏という韓国を代表する3人の指揮者で大学教授。オーケストラを指揮するのは16人の若者。課題はベートーヴェン;交響曲第4番の第1、第3楽章。チャイコフスキー;交響曲第4番の第1楽章。ブラームス;交響曲第1番の第1、第4楽章。みんな熱心に真面目に勉強してあるのは判るが、実際に目の前で鳴っているオーケストラの音を聴いていない、聞き分けていない。経験が無いのだから当然とも言えるのだが、そこで鳴っている音を聞き分けることから始めないと指揮は出来まい。水原から朴 恩聖氏と一緒に申 秀貞教授のお宅へ直行。家内はお昼前からお邪魔していて、申教授のピアノでたくさんのドイツ・リードやカントルーヴを歌ったそうだが、私が到着すると連弾をやろうというので、プーランク、サティ、レスピーギ、ブラームス、フォーレと次から次へと遊んだ。7時過ぎ、韓国駐在のオーストリー大使夫妻やバス・バリトンの朴 興雨氏、それに申教授の姉君ご夫妻も加わって、ドイツ語、英語、韓国語の入り混じる賑やかなパーティーになった。美味しいお料理とワイン、楽しい会話で素晴らしい時間を過ごした。 |
|
|
|
■ 2004.1.29 Thu. 9時ホテル発で水原へ。オーケストラの練習所が改修工事中で暖房がほとんど効かない。音楽家たちはコートを着たままの人たちもたくさん居るが、みんな熱心に若い指揮者たちに付き合ってくれている。昨日も今日も午後はピアノによる講習だが、これはまた、狭い部屋にとんでもなく効きすぎの暖房。夜、朴 恩聖夫妻が私たち2人を素晴らしいフランス料理でおもてなし下さった。家内が少々気分がすぐれないのが心配。青虫のようだと言いながらサラダだけをいただいていた。 |
|
|
|
■ 2004.1.30 Fri. 9時ホテル発で水原へ。明日の終了演奏会出場者を3人の先生方がお決めになったが、私は「独断と偏見」で仙台へ来てもらう5人を選んだ。どの若者が誰の生徒か、どこの学校かを全く知らずに選んだのだから、私の判断基準の当否を別にすれば公平公正であろうと自負している。この5人と7月にまるまる5日間の勉強をするためにソウルへ来ることにした。林 元植先生が私に言い遺されたことを少しずつ実現したいと思っているのだが私にどれほどの力があるか、心許ない。夜は韓国指揮者協会の人たちと一緒に、水原交響楽団の美しいソロ・チェリストのご主人が経営しておられるレストランに行く。素晴らしい音楽家である彼女が、そのレストランでくるくると身軽に働いているのを見て胸が熱くなる。やや障害をお持ちのかわいいお嬢さんも、音楽家であったご主人も皆さん魅力的な人たち。食べきれないほどたくさんのお料理、どれも美味しくて残すのが本当にもったいなかった。Eメールで日本から連絡、N響に来るはずだったローレンス・フォスターとかいう人が怪我で来れなくなったから、代役でブラームスの「2番」と「4番」をやれないかという。日程は何とかなるので引き受けることにした。 |
|
|
|
■ 2004.1.31 Sat. 3時、水原の中ホールで練習、音楽会は7時30分開演。指揮者協会の長老たちも皆さんご夫婦で各地から来られたので、若い指揮者たちにとっては世にも怖ろしい聴衆の前で指揮する心境であったろう。みんな講習の成果をきちんと出せたと思う。チョン・ミュンフンのそっくりさん(この人を私は選んでいない!)が居たりするのもご愛嬌であったし、こうして先生たち、先輩たちがみんなご夫妻で若い指揮者たちの為に集まって来て下さるのもすばらしい。終演後、近所のバーで賑やかな打ち上げパーティー。 |
|
|