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■ 2003.7.29 Tue. 昨日は長旅の疲れが出たか、などと思っていたが、今日もまだ疲れが残っているような気がするのは、ひょっとするとただの怠け癖かもしれない。コントラバスの曲と「第4」を書くつもりでいるのになかなか進まない。このような時はいつも、やっぱり才能が無いなあと思う。それと同時に有馬大五郎先生が何度も「大口を開けて天を仰いどっても霊感などというもんは落ちては来まへんで」とわざと関西訛りで仰ったのを思い出す。怠けてはならぬ、努力を積み重ねなければならぬという教え。 |
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■ 2003.7.30 Wed. 私の不注意で家内の機嫌を損ねた。我が家の日常は家内はくるくるとコマ鼠のように働き続け、私は何となくぶらぶらしていて、しかし、いつも話し合い笑い合っているのだが、家内が不機嫌になると空気は一変する。家内は突然無表情になる。恐ろしく硬い表情、険しい目つきになり、何を訊いても「別に」と低い声で答えるだけ、要するに取り付く島が無い。これはこたえる。相思相愛だった私の父母、母が不機嫌になると母にべた惚れだった父はどうして良いか判らず、門の外へ出て「どぶさらい」をしたり、突然縁側や廊下の拭き掃除をしたりしていた。父の姿を思い出すと懐かしいような、切ないような気持ちになるが、我が家はどぶも無いし、雑巾がけするほど長い廊下も無いのが辛いところである。幸い家内は4時間ほどのお仕置きで私を許してくれる。少し遅くなった夕食は平和においしく頂いた。 |
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■ 2003.7.31 Thu. 日本語が乱雑で無神経で粗暴になったことは、もう嘆いても仕方ないと思うが、それにしてもテレビのアナウンサーやリポーターと称する人間たちが年長者に向って、話しかける方たちのお名前が判っているのに、敬意のかけらも無い無礼な態度でおじいちゃん、だのおばあちゃんだの、お父さんだのと呼びかける無神経は見苦しいだけでなく傲慢さの表れである。私の母は90歳近くまで全く1人暮らしだったが、ある時、母が風邪をこじらせて寝たきりになっているのを発見した私が動転して救急車を呼んだ。駆けつけてくれた救急隊員が「おばあちゃん、大丈夫ですか」と呼びかけたら、きっとなって「私はおばあちゃんではありません、トヤマ・セイです」と叫んだのを忘れられずにいる。テレビには何でも許される、テレビに出してやる、取材してやる、ありがたく思えと考えて世の中をバカにしているのではないかと私には見える。私が親しくお付き合いをしている中京テレビの人たちは例外なく礼儀正しく、善悪の判断は厳しく、細やかな心配りを決して忘れない。それなのに、こうして「テレビというものは……」と私が感じなければならないのは、本当に情け無い。画面に現れないディレクターやプロデューサーの無神経と粗雑さは救いがたい。もう、本当にテレビを見るのはやめよう、と我が家では度々話し合うようになっている。 |
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■ 2003.8.1 Fri 今日配達された郵便の中に畏友森川宗弘氏が編集発行している「せれね」第152号があった。たった4ページの新聞(のようなもの)であるが、その内容や執筆者の多彩さ、豊かさ、面白さ、鋭さ。どのページも欄外まで細かい文字でぎっしり情報が満載されていて、これを読んでいない人は損してるなあ、というのが正直な感想である。その森川氏(小学校以来の友人)と親しい方が私たちを夕食に招いてくださった。4人で出かけた新宿の小さな店は、私たちが今までに一度も食べたことがなかったような、繊細微妙、材料の選び方から細かい心配りが行き届いていることが想像できるような素晴らしい中華料理で、美味などという言葉ではとても表現できない本当のご馳走。つぎつぎと料理を出してくれる間合いも絶妙で、こんな素晴らしい店があったのかと感嘆するばかり。こういう時「命の洗濯をさせていただいた」というのは場違いなのだろうか。 |
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■ 2003.8.2 Sat 2時から赤坂で、第2回仙台国際音楽コンクールの運営委員会。ぎらぎらと照りつける夏がとうとうやってきた。超多忙の方ばかりなのにたくさんの委員と仙台市の人たちも出席してくださって充実した会議が休憩なしで2時間。いよいよ応募の締め切りが近づいてきた。一度経験したから、と何かが判っているつもりになるのが一番怖い。第1回以上にあらゆることの準備や点検に神経を配らなければならぬ。 |
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■ 2003.8.3 Sun. 今日も本当の夏。何となく日曜日の気分で過ごしてしまった。 |
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