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■ 2003.5.21 Wed. 12時45分、家を出て成田へ。今日からソウルである。新型肺炎のせいだろう、今まで一度も見たこともないほど、成田空港に人がいない、ガラガラである。出国手続きも全く待たずにすらすらと通れて免税店を見たら、客はほとんどなくて店員ばかりが目立った。6時半ごろソウル空港に着くと、旧友パク・ウンソン氏がスウォン市立交響楽団の人たちをたくさん連れて迎えに来てくださっていた。ソウルのインチョン国際空港も人影が少ない。パク・ウンソン氏はいつもながら、細やかな心配りで国際通話もできる携帯電話をレンタルしておいてくださった。私たちの泊まるホテルに全員が集まって歓迎の夕食会、恐縮するばかりである。 |
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■ 2003.5.22 Thu. 8時30分ホテル発、音楽監督パク・ウンソン氏運転の車で高速道路を走り、1時間足らずでスウォン市着。オーケストラの事務所が2階にあるおしゃれな建物に練習用のスタジオがある。練習は10時開始。まずマーラーの「1番」。よく訓練された、規律正しいオーケストラだし、みんなが積極的に「音楽」をやろうとしているのが素晴らしい。10時から11時20分まで練習、20分の休憩、11時40分から13時まで練習、それで1日の練習は終わりである。日本のオーケストラの習慣とは少し違う。日曜日は原則として必ず休みらしい。私が練習している間、家内は指揮者室でフランス語の宿題と格闘している。昼食後、練習所の音楽監督室で記者会見、実に熱心な質問の連続で、何と1時間半以上もかかった。ソウルへ戻って、夜は韓国指揮者協会の先生方が素晴らしい夕食に招いてくださった。昨年夏の済州島以来のことをあれこれ話し合って楽しい時間だった。 |
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■ 2003.5.23 Fri. 今日は特別に10時〜13時と14時〜16時半の2回分の練習時間をいただいた。マーラーの、特に第1楽章冒頭の音程に細かく気を配ることを繰り返し試した。モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」序曲も少しずつ落ち着いた表情、軽やかな動きになってきた。家内は勿論、ずっとフランス語。夜はパク・ウンソン氏と奥様が私たちを伝統的な韓国料理の豪華な料亭にお招きくださる。 |
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■ 2003.5.24 Sat. スウォン市に向う高速道路が土曜日のせいでとても空いている。10時開始の練習にソウルからたくさんの音楽大学生が見学に現れた。パク・ウンソン氏の生徒たちだが、その中には昨年夏の済州島のセミナーに参加した人たちも何人かいて、ヤアヤアということになる。18時20分発の飛行機で私1人で成田へ。明日「奏楽堂日本歌曲コンクール」作曲部門本選会があり、その審査の為である。結婚以来、家内の父の突然の入院の時を除いていつも一緒に居るから、まるで女房と泣き別れ状態である。1人で家へ帰っても仕方ないので都内のホテルに泊まる。 |
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■ 2003.5.25 Sun 11時30分、旧東京音楽学校奏楽堂に審査員4名が集合、12時から、3月の譜面審査を通過した6作品の演奏を聴く。演奏してくれた歌い手さんたちは皆さん、やたらに元気がいいが、日本語の発音と基本的な発声にやや不備があるような印象を私は持った。4人それぞれの採点を提出した上で話し合いの結果、1位を1名、2位を2名の作曲家に贈ると決定。東京駅から電車で成田へ。19時発の飛行機でソウルへ戻る筈がなかなか搭乗案内がない。そのうちにオーヴァー・ブッキングで2人分の座席が必要だから、誰か明朝出発の便に変更してもらえないか、その人には100ドル相当の現金、または200ドルの旅行小切手と今晩のホテル、食事を提供するというアナウンスが日本語、英語、韓国語で何度も繰り返された。これがソウル行きの最終便の筈だから席を譲る人は簡単には見つからないだろうと心配していたが、意外にほぼ予定の時刻に飛行機は飛び立った。インチョン空港には家内が迎えに来ていてめでたく再会!! 家内は今日オーケストラの2人の女性にソウルを案内していただいて、とても楽しかったそうである。 |
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■ 2003.5.26 Mon. 今日は特別に13時から16時の練習。今回の独奏者キム・ナムユンさんが来て下さってチャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲も練習。有名な教師で、キム・チーユンなどたくさんの才能を育てて韓国のドロシー・ディレイと呼ばれているなどという人もいるが、素晴らしい音楽家である。「厳しい先生」という表情もお持ちで、うっかり冗談も言えないような印象。オーケストラの音楽家たちは年配者は少なく、若い人たちが多い。アメリカやドイツで勉強した人もたくさんいるとのことで英語もドイツ語も通じるが、私が未だに韓国語を話せないことが特に残念。練習後、音楽監督パク・ウンソン氏のお父様がわざわざ練習所まで来てくださる。車で1時間半もかかる遠方からご自分で運転して来て下さったのである。私たちがパク・ウンソン氏に日本語で送るファックスをいつも訳してくださり、返信を優雅な文字、美しい日本語で書いてくださっている。初めてお目にかかれて大変嬉しかった。温厚な、知的な紳士でいらっしゃるとお見受けしたが、韓国言語学の権威で、現在40歳台以上の人たちは皆、このお父様が執筆された文法を学んで育ったのだそうである。現在も新しく長大な論文をご執筆中で完成を目指して猛烈に仕事をしておられるらしい。スウォンのカルビは有名で、中でもソウルからわざわざ来る人も少なくないという店に連れて行っていただいて美味を堪能、面白いお話をたくさん伺った。改めてお父様の優美な日本語に敬服する。 |
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■ 2003.5.27 Tue. 10時〜13時の練習。今日も独奏者が来て下さる。高速道路を下りてスウォン市に入ると、あちこちに手入れの行き届いた赤いバラがたくさん咲いている。ここに住む人たちのゆとりが感じられて羨ましい。練習2日目からオーケストラは私たちにヒュンデ(現代)の最新のリムジンを運転手さん付きで使わせてくださっているが、その運転手さんは長い間、日本で会社を経営していたことがあるそうで(といっても、まだ40歳台半ばであろう)見事な日本語を話す。私たちが前の晩が遅くて朝食を摂っていないこと、練習終了の1時まで何も食べないことを知ってお母様手作りの海苔巻を持ってきてくれた。とても丁寧に、繊細に作られた美味しいもので、このように韓国風海苔巻を初体験できたことにお礼の申し上げようもない。オーケストラと私の関係はだんだん親類のようになってきた。 |
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■ 2003.5.28 Wed. いよいよ音楽会の日。13時30分に市庁舎に出向いて市長、副市長にご挨拶する。スウォン市立交響楽団の名誉指揮者にするという過分の御沙汰、賞状と、国宝に指定されているお城の立派な額を頂戴する。3時から会場で練習。音響は残念ながらあまりよくない。今日は蒸し暑いが空調が故障で全員汗だく。駐車場もオーケストラ以外の車がたくさんで大混雑、そのため練習開始が少々遅れる。音楽会は7時30分開演。開演前に市長、副市長などがわざわざ楽屋に来て下さる。コンサートマスターが舞台に出ても、独奏者の時も、私も、ヒャーという歓声と盛大な拍手、それに混じる口笛に迎えられる。まるでロック・コンサートだな、という感じ。オーケストラは大熱演、独奏者も素晴らしい演奏、特にマーラー「1番」は客席の集中度も見事だった。この若いオーケストラの歴史上初めて、入場券が売り切れだったと聞いて少しほっとする。スウォン市の手厚い支援の他に大企業サムスンの援助も大きいそうだが、オーケストラの経営は世界中苦しい。だから私のような「外来」でオーケストラが損失を蒙るのは心苦しいのである。終演後、会場近くの小さなレストランでオーケストラ主宰のビア・パーティー。ソウルからわざわざ来て下さったイム・ウォンシク先生の奥様、シン・スージョン先生、それに何と日本から来た本荘玲子さんもこのパーティーに顔を出してくださった。 |
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■ 2003.5.29 Thu. 今日と明日、ソラク山という東海岸の観光名所に私たちを案内してやろうとパク・ウンソン氏が計画していてくださったのだが、台風が接近していてその地方は既に激しい雨が降っているとのことで残念ながら中止。その代わりにとカルビと冷麺が美味しいことで有名な老舗に連れて行ってくださる。英語が達者でパソコンにも強いファゴット首席の若い音楽家も付き合ってくれる。たくさん食べて、たくさんおしゃべりして、お酒も飲んで夕方になって、さて、と今度は中華料理だという。立派な店の個室でオーボエ首席の若いご婦人も加わって5人、ご馳走に満足し、韓国語、ドイツ語、英語、日本語ちゃんぽんの話に花が咲き、パク・ウンソン氏は特にたくさん飲んで超ご機嫌。楽しい1日であった。 |
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■ 2003.5.30 Fri. 休日の2日目。お昼、パク・ウンソン氏が伝統的な韓国料理に招いてくださる。床に直に座る大広間で、大きなテーブルいっぱいに数え切れないほどの料理が並べられるのは壮観である。味も素晴らしい。この国の食文化の豊かさ、奥深さの一端を覗いたような気がする。私たちがソウルに泊まるホテルは、あまり観光客などで騒がしくないのが気に入っている。部屋のテレビをつけるとNHKの衛星放送も入るが、韓国のたくさんのチャンネルは勿論、ドイツ、フランス、イタリアなどの衛星放送も受信しているのが面白くて、あれこれと眺めては楽しんでいる。 |
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■ 2003.5.31 Sat. 10時〜13時練習の予定だったが、なにしろ「思い出し稽古」のようなものだから、あっという間に終ってしまって、みんな元気良く家路についた。家内は今日まで毎日フランス語の宿題に取り組んでいたからだいぶ進んだだろう。ソウルの町には私たちが日本でも見かける看板がたくさんある。目に付いただけでもマクドナルド、ウォルマート、スカイラーク、セブンイレブン、ダンキンドーナツ、ミニストップ、スターバックス、セコム、KFCときりがない。夜、シン・スージョン先生のお宅での素晴らしいパーティーにお招きを受ける。いつもながら選び抜かれたご馳走と、豊富な話題をお持ちのお客さまたちで、なるほど、こういう集まりを真の意味の社交界というのだろうかと家内と話し合う。途中で日本でやっている韓国対日本のサッカーをテレビ観戦する男たちも居た。シン・スージョン先生は明朝、演奏のためヨハネスブルクへお出かけ。 |
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■ 2003.6.1 Sun. 私たちがイム・ウォンシク先生のお墓参りに行きたいと言っているのを聞いて奥様が同行してくださることになった。昨夕注文しておいた白いバラの花束を受け取ってから奥様をお迎えに伺う。先生のお墓はソウルから車で約1時間、北朝鮮との境界に近い、小高い丘にある。昨年9月の埋葬の時は雨の後でぬかるんでいた登り道は、今日は好い天気でカッコウや小鳥の声も聞える。先生、また来ましたよ、今スウォンのオーケストラと演奏しています、来年は仙台で韓国の若い指揮者たちと勉強します、……とたくさんご報告した。とても立派なお墓が完成していて、そのそばに立って奥様が写真を撮って下さった。帰り道に美味しいお昼をご馳走になってから、北朝鮮が川を隔ててすぐ向こうの岸に見える展望台に立つ。何とも言いがたい感じで立ち尽くした。ソウル市内に戻って、先生が創立された芸術高校に新しく設置された先生の銅像を見せていただいた。この高校は葬儀が行われた場所でもあるので、今日は1日、先生とご一緒したような気分であった。ソウル市内を縦断したような形になったが、こうして改めて周囲を見るとこの町もずいぶん緑が多い。市街を取り囲むような形の山々は、日本では見ることの少ない岩山であるが、休日にはたくさんの人たちがハイキングをするのが習慣だという。戦争で荒れ果てた町にたくさんの、緑を育てた人たち、休日には山登りをするのが習慣だと自然に言える人たち、びっくりするほど車が多いが町中のあちこちに手入れの行き届いた花を植えている人たち、……本当のゆとり、本当の生活とはこういうものか、と思わせる。若い女性たち、オーケストラの音楽家もレストランのウエイトレスも表情が美しいと私が言ったら、家内は、いいえ、日本の若い人には表情がなくて、ここの人たちは表情がある、だから美しく見えるのだと言う。そうか、私たちは無表情な世界に慣れ始めているのか、と怖ろしい。 |
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■ 2003.6.2 Mon. 今日はソウル・芸術の殿堂(アートセンター)で音楽会。会場での練習の前に、指揮者の楽屋にシン・スージョン先生がご紹介くださったバス・バリトン氏が来てくれた。「第9」を歌ってもらう。声の質も、ドイツ語も、音楽も私が今までに聴いたどの「第9」にも、こんな素晴らしいバス・バリトンはなかった。私は大橋国一は世界のどんな歌い手よりも素晴らしい「第9」のバス・バリトンだとずっと考えていたが、この人はそれを超えている。私はこの人と「第9」をやってみたい。彼の話すドイツ語も美しいし、飾り気のない人のようである。何とか機会を見つけたい。会場練習は音響の良さを確かめ、響きのバランスを整え直し、細かい手直しをして終る。開演前にたくさんの知り合いの音楽家たちが楽屋に現れる。パク・ウンソン氏ご夫妻が改めて楽屋を訪ねてくださって素敵な螺鈿の宝石箱をいただく。恐縮するばかりである。音楽会は7時半開演、落ち着いたモーツァルト、キム・ナムユンさんのチャイコフスキーは、今日は特に充実している。マーラー、熱気に溢れて盛大な拍手をいただく。東京で韓国語を教えていただいている先生がたまたまソウルに帰っておられて、お友達を誘って聴きに来てくださった。終演後、近くのビアホールでオーケストラの人たちやその家族、知り合いの音楽家たちなどと遅くまで楽しくおしゃべり。みんな上機嫌で嬉しい。それにしても、このオーケストラの音楽監督就任後2年と少々という短期間に、こんなに充実したオーケストラを作り上げたパク・ウンソン氏の力は素晴らしいの一語に尽きる。様々なご苦労もあったろうと想像するが、それを総て飲み込んだ上で、明るくみんなの先頭に立って進み続けているのは見事である。音楽家たちがみんな音楽監督を尊敬し、愛していることが一目で明らかなのも道理とうなずける。このオーケストラが現在の韓国ではKBS交響楽団に次いで2番目か、という評価があるのも当然だろう。 |
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■ 2003.6.3 Tue. お昼、パク・ウンソン音楽監督夫妻が迎えに来てくださってホテルをチェックアウト。オーケストラの人たちもたくさん来てくれて、またまた、素晴らしいお昼をご馳走になる。高速道路を走ってもずいぶん時間のかかるインチョン空港までわざわざ送ってくださる。スウォン市立交響楽団は、勿論パク・ウンソン氏の指揮で10月に大阪で演奏する予定だし、パク・ウンソン氏には来年2月に仙台フィルハーモニー管弦楽団を指揮していただく予定、奥様も同行して下さる筈だから再会を約束してお別れする。飛行は順調で予定の7時50分に成田着、久しぶりの日本は蒸し暑い。 |
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■ 2003.6.4 Wed 荷物を少し片付けたり、1日ぐずぐずと過ごす。さすがに少々くたびれている。 |
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■ 2003.6.5 Thu. 午前中、病院で採血採尿、その足で東京駅、新幹線で名古屋へ。 |
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■ 2003.6.6 Fri. 10時30分、県立芸大指揮法、モーツァルト「39番」の1、2、3楽章を振ってもらう。テンポの配分やリズムの性格をどう読み取るか、易しいことではない。1時からオーケストラ。モーツァルト、間宮芳生、プロコフィエフをざっとやってから関谷弘志さんに渡す。明日からの大阪フィルのためにプロコフィエフのスコアを持ち帰った。 |
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■ 2003.6.7 Sat. 新幹線で大阪へ。1時、大阪フィルハーモニー交響楽団の練習。この「定期」は全曲プロコフィエフ、「3つのオレンジへの恋」組曲、ピアノ協奏曲第3番、交響曲第5番であるが、昨日まで17日間の休暇だったというオーケストラの状態を少々心配していたら、みんな休養充分のゆとりか、易しくない作品揃いなのに難なくこなしていて一安心。休憩時間に親しい音楽家たちが来て「ねぇ、ねぇ、コンタクト入れたの?」「あの高価なコンタクト入れたんでしょ」と言う。何のことかと一瞬考えたが、目の手術をしてから大阪フィルは初めてだから、メガネのない指揮台の私が珍しく見えたらしい。手術の話をしたら、いいな、私もやってもらいたいという人もいた。そんなに若返ってどうするつもり?と言う奴もいる。新幹線で名古屋へ戻る。 |
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■ 2003.6.8 Sun. 大阪へ。12時から大阪フィルの練習。透明で精密、それでいて情緒も豊かなプロコフィエフの音楽になかなか近づけないが、私が焦ってはいけない。久しぶりだという協奏曲もオーケストラの部分だけを一通り練習して名古屋へ戻る。 |
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■ 2003.6.9 Mon. 今日は家内と一緒に大阪へ移動。12時からの練習、2時に独奏者ミシェル・ベロフ氏登場、昔の美男ピアニストも今や落ち着いたおじさん、演奏もそつなく、破綻なく、見事であっという間に練習が終る。夜6時30分、懐かしい中之島公会堂で毎年恒例の「第9始めの会」。年末の「第9」の詳細な打合せ、私が練習に行く日も、「第9」の前に演奏する曲も決めた。 |
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■ 2003.6.10 Tue. 午後、久しぶりに床屋に行ってさっぱりする。会場(ザ・シンフォニーホール)での練習は3時半開始、勿論音響が練習所と全く違うので、細かく点検しなければならない。音楽会は7時開演、ずっとフェスティヴァルホールでやっていた定期演奏会を今シーズンからザ・シンフォニーホールに移した大阪フィルは、「定期」を2日間としたのだが、第1日の今日もたくさんのお客様である。オーケストラは緊張のせいか、所々に不注意のミスが目立って大阪フィルらしくない、残念。 |
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■ 2003.6.11 Wed. 4時半から少々練習する。2日目の今日もたくさんのお客様。オーケストラは昨日よりはるかに良い。独奏者も楽しそうである。昨日は指揮者が余計な緊張を強いたのかもしれないと思うと、私はまだまだ未熟である。 |
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■ 2003.6.12 Thu. 新幹線を乗り継いで仙台へ、約1ヶ月ぶりの仙台である。3時から青年文化センター・コンサートホールで仙台フィルの練習。NHK仙台放送局開局75周年の音楽会だから、大河ドラマや朝の連続ドラマの音楽、それに開局の年に生まれた作品ということでガーシュイン「パリのアメリカ人」など。 |
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■ 2003.6.13 Fri. 2時から県民会館で練習。テレビの収録があるから先ず慎重なマイク・テスト。夕方、独唱の菅 英三子さん、福井 敬さんも参加して「浜辺のうた」「荒城の月」、それにオペラのアリアなど。夕食休憩を挟んで7時からは仙台放送合唱団も加わった「乾杯のうた」。テレビ収録独特の煩雑さ、複雑さとスタッフの人数の多さでオーケストラの裏方さんたちもきっと特にくたびれているだろう。 |
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■ 2003.6.14 Sat. 2時から県民会館で仕上げの練習。開演は6時半、満員のお客様である。2人の司会者が進行役だが、こういう場合、しばしばその為に所要時間が長くなる。今夜はまあまあであった。 |
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■ 2003.6.15 Sun. お昼過ぎの新幹線で帰京。 |
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■ 2003.6.16 Mon 私たちが住んでいるこの建物のエレベーターが今日から大修理に入る。何と28日まで朝9時から午後6時までストップ!ウチは6階だからまだ少々ましだが、14階にお住まいの方もおられるのだから新聞配達や宅配便は大変だろう。20日と21日は全日動かないそうだし……。 |
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■ 2003.6.17 Tue. 9時半に病院、先ず検眼をして新しく作るはずのメガネの処方をいただく。眼科の診察では順調ですよ、と言っていただいたが、その後がいけなかった。血糖値もコレステロールも中性脂肪も、家内も私もとんでもない数値で、ずっと糖尿病について点検してくださっているお医者様が今日は2人とも極めて成績が悪いから、よほど気をつけて改善に努めなければいけない、と厳しくおっしゃった。韓国で毎日毎日ご馳走を頂きすぎたせいである。2人とも3キロくらい太ってしまっているので、こうなる前に自分たちで気をつけるべきであったとションボリ。 |
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■ 2003.6.18 Wed お昼の新幹線で名古屋へ。 |
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■ 2003.6.19 Thu. 8時、ホームドクターの所で胸部のレントゲン撮影、腹部の超音波診断、採血などをしていただく。12時からNHKで「FMシンフォニーコンサート」の解説の収録。たまたま2本分の演奏の収録が終っているので、解説も2本分を済ませる。5時前に名古屋駅で家内と落ち合い、新幹線を乗り継いで仙台へ。 |
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■ 2003.6.20 Fri. 11時から事務局と梅田俊明さん、私の会議。オーケストラというものに親しんでいただくために私たちの練習を公開できないだろうか、という考えはずっと私たちの間にあるが、それを実現する方法について相談する。その後、中川基行さん、梅田さんと私で来年度の定期演奏会の基本的な部分について話し合い。3時、青年文化センター・コンサートホールでの「定期」の練習に行く。今月は尾高忠明さん指揮でシベリウス・プログラム。交響詩「大洋の女神」という珍しい作品が第1曲、竹澤恭子さんの独奏でヴァイオリン協奏曲、そして交響曲第1番。尾高さん、いつもながら見事な統率ぶりで自由自在にオーケストラを動かし、要所を引き締めておられる。竹澤さんはますます円熟の境地、集中力が凄い。机に向ってしなければならぬ仕事があまりにたくさん溜まってしまっているので、演奏会は聴かずに、心の中で「ごめんなさい」を言いながら帰京。エレベーター停止中で重いリュックサックを背負った家内と二人、6階まで深夜の階段を上る。 |
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