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■ 2003.5.3 Sat. 春らしいのどかな日、私たちが勝手にホームドクターだと思っているお医者様ご夫妻とそのお嬢様、家内の両親と私たち計7人でゆったりと夕食。 |
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■ 2003.5.4 Sun. 午後の新幹線で帰京。 |
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■ 2003.5.5 Mon. 息子たちの招待で原宿駅近くの特設会場で“キダム”という名前の現代サーカスを見る。体操とアクロバットとサーカスを組み合わせたような不思議なものだが「見せる」ための設計、工夫が見事。終演後、息子夫婦とその息子、私たちの5人で田園調布で夕食。 |
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■ 2003.5.6 Tue. 朝、眼科の診察、順調だそうである。お医者様がいつも丁寧にご説明くださるのと、さり気なく励ましてくださるのがありがたい。病院が好きになったりするのはヘンだが、今度の手術でこの病院の眼科が何だか懐かしい存在になりそう。韓国に行くことをお話したら、有効な手指の消毒液を教えてくださった。 |
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■ 2003.5.7 Wed. 狭い我が家に森川宗弘氏がお友達と一緒に遊びに来てくれる。あれこれと楽しいおしゃべりをしながら相当飲んだ。とても楽しかった。近い内に是非また来ていただこうと家内と何度も言い合う。 |
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■ 2003.5.8 Thu. 雨、2時から東京国際音楽コンクール(指揮)のヴィデオ審査。応募者は世界34ヶ国から124名。実行委員会の委員全員で次々と見ていく。どうしてこんなに難しい作品を選ぶのか、と思うようなものを指揮している人も少なくない。若い音大生などは2台のピアノを指揮していることも多いが、圧倒的多数が実際にオーケストラを指揮しているのに感心する。思うように腕を振り回すのではなくて、指揮する作品をどのように演奏したいのかをはっきり表現できること、出てきた音をきちんと聴き取り、聴き分けることが大切だと痛切に思うが、それでは自分はそれができているのかと考えると身が引き締まる思いである。 |
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■ 2003.5.9 Fri. 9時55分、NHK西玄関。1970年代の演奏を振り返る「N響アワー」で話を、という収録。クラリネットの浜中浩一さんと2人、池辺晋一郎さんのダジャレに攻撃されながら昔の話を少々。ヴォルフガング・サヴァリッシュさんは勿論世界的な大指揮者だが、1958年に初めてヴィーンへ行った私が見た特に人目を引くポスターは、ヴィーン楽友協会独特の金色の地に黒い大きな文字、ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮、ヴィーン交響楽団によるブラームス・チクルスの曲目、独奏者などであった。このシリーズの入場券は完売、指揮者サヴァリッシュはカラヤンの次だと言われている大スターで、若い女性たちの間で人気が高い、と聞いた。N響でのサヴァリッシュさんは、例えば「カルミナ・ブラーナ」で共演した大歌手ヘルマン・プライの目の前にまで手をかざしてこまごまと指示をするほど、あらゆる細部に亘って自分が統制しないと気がすまない独裁者のように見えることがあったが、1992年にバイエルン歌劇場を率いて来日した時のR.シュトラウス「影のない女」の指揮は私にとってはほとんど衝撃的なほど見事なものであって、これほどのことが出来る人だとは知らなかった自分を恥じた。凄い音楽家だと初めて知った。そんなことを話したかったのだが全くそれには触れられなかった。 |
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■ 2003.5.10 Sat. 穏やかな誕生日、誰にも邪魔されず、家内と2人で過ごす。 |
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■ 2003.5.11 Sun 「有事関連法案」がとんでもない速度で一人歩きしている。何故今「すぐに戦争できる体制」を整備しなければならないのか、説明も無く、議論も無いのが不気味である。「北朝鮮」と言えば、そうだ、酷いことをされる前にやっつけてしまおう、というのでは、気に入らないやつらには「アメリカの正義」を思い知らせてやるんだと叫ぶ大統領と同じことになってしまわないか、心配である。 |
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■ 2003.5.12 Mon. 新幹線で仙台へ、梅田俊明さんと2人で仙台フィルの練習に立ち会う。それを見に行ったわけではないのだが、指揮者が自分の手先と鼻先でオーケストラや作品そのものも思い通りに操れると思っているのが目立つ。音楽にも音楽家にも、いささかも敬意を払わないことは不愉快を通り越して許しがたい。音楽監督として企画段階での監督不行き届きである。申し訳ない。練習後、事務局全員と音楽家たち、梅田さんと私も出席して4月の「オーケストラと遊んじゃおう」のいわば反省会。当日のお客様に頂戴したアンケートの内容からいろいろな細かい点に到るまで話し合い、来年に向けての意見もたくさん出た。新幹線で帰京。 |
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■ 2003.5.13 Tue. 珍しく家内が少々具合が悪い。病気じゃない、と本人は言うが、多分日常の働きすぎ、過労のせいだろう。 |
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■ 2003.5.14 Wed. 家内も気分が良さそうなので午後、ちょっと池袋へ出かける。用事を済ませた後少々買い物をしたくてデパートに入ってみたが、2人とも人ごみが苦手なのですぐくたびれてしまって早々に退却。気分転換に田園調布まで夕食に行く。「有事関連法案」が今の国会で成立する見通し。 「ボクたちがこうして学校へ行けるのは、お国のために戦った兵隊さんのおかげです、兵隊さんよありがとう」と声をそろえて歌いながら私は育った。敗戦の8月、中学2年生の私はお国のために潔く死ねなかった自分が情けなくて涙をこぼす軍国少年であった。3歳半からピアノを弾き始めて、戦争が激しくなってご近所から「非国民」などと罵られながら音楽をやめることはない家に育った私の一面である。世界中の子どもたちにそんなことを繰り返させたくない。軍隊が空港も、港も、鉄道も、道路も、私有地も勝手に使えるようにしなければ戦争に勝てるはずは無いではないか、「国益」とはそのことである、実際に戦争にならなくとも、その「惧れ」がある時には「いざ」に備えて個人の権利が制限されて当然である、そう考えて何が悪い、どこが間違っているというのか、と怖いオニイさんに囲まれて脅されているような気分である。落ち着かない。理解も難しい。戦争中の隣組というものがどれほど見事に思想統制、そしてケチな密告の役割を果たしたかを私は経験している。私たち日本人は長いものには巻かれろと大勢順応型である。何も見るな、何も訊くな、何も言うな、何も考えるなという生活がどのようなものであるかを私は体験している。だから、どのような理由の戦争であろうとも反対である。私たちの日本国憲法は「前文」から、考え方の違いを武力を使って解決することはしない、というはっきりした思想に貫かれている。これは人類の理想である。そしてこの憲法があったから今日まで57年間、日本の軍隊は1人も人を殺さなかったというすばらしい歴史を持っている。どこの国だって「有事法制」の無いところはないんだ、あって当然、無いのは恥ずかしい、それは国民の為でもあるというが、戦争が何よりも国民を守ること、庶民を守ることを優先した例は一つも無いのである。ただただ恐ろしい。 |
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■ 2003.5.15 Thu. 朝から雨、新幹線で大阪、用事を済ませて名古屋へ。 |