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■ 2003.1.12 Sun. 朝の新幹線で仙台へ。連休中のせいか東京の地下鉄も新幹線もいつもの日曜日より人が多い。仙台駅から仙台空港へ直行、ソウルから来るジョン・インヒョクさんを迎える。彼の名前を漢字で表記すると、鄭 寅赫となるそうである。元気にニコニコと現れた。好いお天気なのでホテルで一休みした後、仙台一番町の商店街を案内しながらぶらぶら歩く。英語もドイツ語もそれほど得意ではなさそうなので時々家内の韓国語が役立つ。私はすっからかんに忘れてしまっていて情け無い。明日のファリャとバルトークが心配で、暫くスコアとにらめっこする。 |
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■ 2003.1.13 Mon. 練習第1日は若林文化会館。鄭さんは昨年夏、済州島の韓国指揮者協会のセミナー受講者の中で一番成績の良かった指揮者、ソウルの韓国国立芸術大学(Korea National University of Arts. 略称KNUA)大学院をこの2月に卒業する予定。オーケストラの中の、いつも副指揮者が座る場所に座ってもらう。ファリャ「三角帽子」の第1部はあまり馴染みがないのでオーケストラが最初は戸惑っているように見えたが、すぐに生き生きとした表情になる。第2部は勿論ファリャの代表作だろう。ハイドン交響曲、初日だから、ごく小人数にしたアンサンブルの感覚がうまくかみ合わない様子。バルトーク、暫く遠ざかっていた種類の現代作品に遭遇して困惑した感じが濃厚、とはいえ、これはもう「現代の古典」である。私はある種の懐かしさも感じる。世界中の、そして日本の若い作曲家たちがみんな、この曲に強く影響された時代があったといっても大げさではないだろう。夜はピアノの服部容子さん、ヴァイオリンに客演してくださっている石井啓一郎さんを誘って鄭さんと食事。 |
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■ 2003.1.14 Tue. 10時30分、仙台フィル 中川演奏事業部長に同行していただいて鄭さんと一緒に韓国総領事にご挨拶に伺う。総領事に通訳していただいた結果になってしまって大恐縮であるが、その通訳振りの見事さは「比べ物がない」と言う言葉どおりである。当然ながら特別な知性と感性を兼ね備えておられるのだな、と痛感する。今日(練習第2日)から青年文化センターコンサートホール。まったく響きの違ったホールへ来て練習がむしろ進行しやすくなった。バルトークに時間をかける。鼻かぜをひいてしまったようである。 |
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■ 2003.1.15 Wed. 鼻水がでてハンケチを握り締めながら練習しているのは、どうも格好がつかない。練習後、梅田俊明さん、私と事務局の会議。貴乃花が出るの出ないの「相撲道」がどうの、と言っているがピアノをさらってもいないのに俺は名人だから協奏曲を弾くんだと言っている、と考えると妙なものである。 |
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■ 2003.1.16 Thu. 風邪は治ってくれないが練習は順調に進んでいる。梅田さんが練習を見に来てくれたのでやはり緊張する。一種の適性検査を受けているような感覚なのである。練習後、今日は「オーケストラと遊んじゃおう」の会議。 |
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■ 2003.1.17 Fri. 3時から練習、バルトークが気になるのは当然だが、ほんの少々ゆとりが出てきて表情が豊かになり始めたかな、というところ。音楽会は7時開演、ハイドンは良い意味の緊張感もはらんで順調な滑り出し。バルトーク、オーケストラが素晴らしかった。一瞬も気が許せない緊張感と表現意欲がかみ合って充実した表現になった。豊かな響きもあった。ファリャは音楽家たちの表情が一転して明るくなって、はじける様な南国スペインの音楽に近づいた。今夜の演奏会の最大の反省点は、時々、音楽の流れが途切れるところがあったとすれば、それはすべて指揮者の不注意、不適切な指示だったと考えられること。こうすれば演奏者の負担を減らせるか、とか演奏者の助けになるだろうかと考えてかえって邪魔になったり余計なことをしていたりすることが非常に多いに違いない。そうしないように毎日気をつけているつもりがなかなかうまく行かない。勉強が足りない。演奏中は鼻水も咳もでなかったのは幸い。 |
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■ 2003.1.18 Sat. 4時半から練習、バルトークの気になるところを数ヶ所やり直す。ほとんどが私の不用意な指示の訂正である。7時開演、今日は昨日とは違った自由さがあるように思えるのは同一曲目で二日目ということだろうが、初日の私自身の不必要な緊張が音楽家たちに伝わってしまっているからだろうと考えると、指揮者の責任の重さを再確認する。今夜もオーケストラは素晴らしく演奏した。お客さまにも楽しんでいただけたのではないだろうか。鄭さんは毎日熱心に練習を見学していたが、彼の誠実な人柄、素晴らしい笑顔、人懐っこさなどのせいかオーケストラの音楽家たちだけでなく、ステージ・マネージャー、インスペクター、ライブラリアンなど裏でオーケストラを支えている人たちにも大人気で、一体何語で話しているのか心配になるほど、あちらでもこちらでも話し込み、大笑いしているのは嬉しい光景である。毎晩そういう人たちに誘われて楽しいお付き合いをしているようである。 |
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■ 2003.1.19 Sun. 鄭さんと3人新幹線で東京に戻る。日本の伝統的な文化に触れたいというので、とりあえず歌舞伎を歌舞伎座で、としたのは我ながら誠に安易である。鄭さんをホテルに送って一度帰宅して荷物を置く。歌舞伎座夜の部は4時半開演、お正月だからか普段にもまして超満員。菅原伝授手習鑑「寺子屋」、玉三郎の美しさと風格のある演技が際立っている。「保名」は特に言うことなし。「助六」團十郎の口跡の悪さ、曖昧さは相変わらず。錚々たる名優が揃っている筈なのに華やかさも充実感も不足。どうしたことか。久しぶりの歌舞伎座なのにいささか寂しい。急に降りだした雨の中をホテルへ戻って鄭さんとお別れの乾杯。このような若い音楽家がどうか良い環境で勉強に専念できるようにと願う。彼は明日の午後、成田から帰国する。どんな印象を持ち帰るのだろうか、この1週間が何か役に立つだろうか。 |
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■ 2003.1.20 Mon. 風邪の盛りは過ぎたようだがまだ咳も残っているし鼻水も止まらない。1日いろいろな片付けものや郵便物の整理。久しぶりの我が家の食事はおいしい、心安まる。 |
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■ 2003.1.21 Tue. 3時半、N響練習所で毎年恒例の尾高賞の審査。 |
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