■ 2002.8.1 Thu.
 16時30分から練習、19時開演で演奏会。お客様もたくさんいらしてくださって楽しい演奏会だった。

■ 2002.8.2 Fri.
 13時30分、第2回仙台国際音楽コンクール組織委員会。岩渕竜太郎さんや海老沢 敏さんもおみえで、充実した内容の会議。事務局の皆さんの奮闘振りが素晴らしい。直後に市長(組織委員長)もご出席の記者発表。18時からは仙台フィル事務局に梅田俊明さんと私が参加した会議。2003年4月〜2004年3月の定期演奏会及び自主公演の曲目、出演者などについて話し合う。新幹線で帰京。

■ 2002.8.3 Sat.
 朝6時45分に家を出て成田からソウルへ。旧知の指揮者パーク・ウンスク(朴 恩聖)さんが出迎えてくださって市内の病院へ。大変立派な清潔な病院。林 元植さんは思ったより顔色も良く、ちいさな声だが、しっかりと話をしてくださったし、短時間だが起き上がって私をじっと見ながらお話にもなった。安心したのも事実だが林さんのお元気な時の、あの破格のエネルギーで病気を撃退してくださるようにと祈るばかりである。多分、ずっと病室に泊り込んでおられる奥様のお疲れも心配である。19時10分ソウル発で成田へ。帰宅したら12時を少し過ぎた。

■ 2002.8.4 Sun.
 お昼過ぎの新幹線で仙台へ。日曜日だが事務所も数名の楽員さんたちも、梅田俊明さんも、みんな出てきてくれて来年の「オーケストラと遊んじゃおう」の為の会議。いろいろなアイディアが出て話が弾む。中川局長のリード振りも鮮やか。6時前の新幹線で帰京。

■ 2002.8.5 Mon.
 ベルリッツ。後もう1回だと思うと、何だか名残惜しい気もしてきた。

■ 2002.8.7 Wed.
 最後のベルリッツ。計50時間だったが、いよいよこれから面白くなるところかもしれない。このまま終るのはもったいないから、何とか続けられる形を探そう、と家内と話す。夜、息子夫婦、孫と5人、久しぶりに赤坂で食事。

■ 2002.8.8 Thu.
 済州島行きの荷物を作る。オーケストラ用の楽譜など結構大荷物である。暑いから着替えを大量に用意したせいかもしれない。余計な物は割愛するし、長い旅行にも慣れているつもりなのに、とため息をつく。

■ 2002.8.9 Fri.
 お昼の新幹線で大阪、床屋へ行く。夕方、名古屋着。

■ 2002.8.10 Sat
 8時、「ホームドクター」古沢先生の病院に伺って検査をしていただく。家内が10年は経験していないというバリウムを飲んでの検査をしていただいたが、胃も腸もキズ一つないとてもきれいなもので、こんなにストレスが無いのかと驚嘆する。小さな買い物をして家内の祖父母などのお墓参り。広大な平和公園の中の緑に囲まれて開放的な明るい墓地。これならお化けも出ようが無いだろう。お盆というのは季節の区切りを好む私たち日本人にとって心休まるお祭りのひとつかなと思う。

■ 2002.8.14 Wed.
 午後、新幹線で東京へ戻る。

■ 2002.8.15 Thu.
 敗戦記念日。6日の広島、9日の長崎と原爆の被害を受けた町の市長が、今年は特に具体的に鋭く戦争の惨禍を説き、平和への強い意志を語ったのは世界全体を不安にさせる自己中心の大国の暴力が極まろうとしているからであろう。日本でも過去の戦争を体験した者は、敗戦当時中学2年であった私も70歳を過ぎたことを考えると、悲惨で痛苦に満ちた体験を語るだけでは、非戦、平和を訴える充分な力にはなりえないかもしれない。これだけの長い年月が経過しても、未だにあの戦争による苦しみ、悲しみが続いていることをもっとたくさんの人が知る必要がある。
1945年の8月15日も、東京は今日のような青空で暑かった。