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■ 2002.3.9 Sat. 仙台フィル「定期」を聴きに行く。指揮は尾高忠明さん、ますます円熟の境地である。 シューベルト;交響曲第4番「悲劇的」はガッシリと重い交響曲。何がシューベルトにとって「悲劇的」だったかはっきりしない、と解説にあるがそれはともかく、一筋縄ではゆかぬこの作品を尾高さんはさすがに見事にまとめてくださった。仙台フィルも充実している。漆原朝子さんのメンデルスゾーン;ヴァイオリン協奏曲はしっとりと落ち着いた大人の音楽。それでいて華やいだツヤも充分で鳴り止まない拍手に包まれた。まだ幼かった朝子さんの初めてのNHK交響楽団との共演(1980年3月22日「ツィゴイネルヴァイゼン」)の指揮は私だったということもあって、私も嬉しい。ルトスワフスキーの「オーケストラの協奏曲」は尾高さんの作品に対する理解の深さがオーケストラの能力、魅力を存分に発揮させた名演。面白かった。堪能した。尾高さんに感謝。このルトスワフスキーの日本初演は多分、大阪フィルハーモニー交響楽団と私。1960年代の初めにスタートした「大阪の秋」という現代音楽祭の第1回だったはず。 |
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■ 2002.3.10 Sun. 1945年、私は中学2年生である。東京はアメリカ軍の爆撃で連日連夜攻撃され続け、戦闘機による機銃掃射などというものもあったが、外山家は「疎開」せず東京・牛込に留まっていた。3月9日の深夜(10日未明)東京の下町、本所、深川、両国などが激しい空襲を受けた。いわゆるじゅうたん爆撃、同じ場所を何度も行ったり来たりして灼きつくすのである。その空を焦がす炎は遠く牛込からも立ち上る煙とも雲ともつかぬ巨大なものと共によく見えた。一般市民の死者は10万人を超えると言われているがいまだにはっきりしないほどの多数である。ダグラス・ラミスさんという元・津田塾大学政治思想史教授が「憲法とは人権を勝ち取る為に国家に押し付けるもの」であって「特に日本国憲法は軍国主義の国家から権力を奪って民衆に渡す目的があった」と語っておられるのを読んだ。私は一人の指揮者として毎年ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏する機会に恵まれ、この作品に込められたベートーヴェンの理想は自由、平等、連帯によってこそ真の平和があるというものであることを確認してきた。演奏に際して感想を求められる度に1945年8月以来、日本軍によって殺された人は一人も居ないことがいかに素晴らしいかを思ってきたが、昨年暮れ「不審船」に対して海上保安庁の巡視船が先制攻撃した結果、双方の銃撃戦となり沈没させ乗組員を死に至らしめた。日本は遂に海外で本格的な戦闘行為を行って人を殺す事態を引き起こしてしまったことになる。 加藤周一さんは憲法9条に関して、「自衛の為の軍備は憲法の放棄している軍備ではない」という理屈が述べられたときが第1の転機で、それによって自衛隊という名前の軍隊がつくられた。第2の転機は昨年、アメリカと共同しているからアメリカを援助する、アメリカが攻撃されたら日本も参戦する、と言った時で、これはもはや「自衛」ではないしアメリカの行う戦争に参加して一緒に戦うことを「集団的自衛権」というと語っておられる。自転車通学の途中で空襲による黒こげの死体がいくつもトラックに投げ上げられるのを目撃した少年としては有事法制などというものを議論研究されてはたまらないと考えている。いかなる理由があろうと戦争には反対である、と主張すると感傷的で、平和ボケで、現実認識が欠如しているとののしられるが、暴力の連鎖が何かを生み出せるとでもいうのだろうか。狂信的なイスラム原理主義は「聖戦」を戦って死んだものは神になるのだと言うが、それと酷似した思想が私たちの周囲にもあるのではないか。イスラエルは全面戦争に向って加速度をつけ、それは「第2次大戦に突入していった日本と同じ状況にある」とテルアビブ大学の教授が言う。その中で最近イスラエル軍のエリート部隊の予備役50人が「兵役拒否の手紙」を発表して占領地での軍務拒否を宣言、何人かは懲役刑を科せられたが、それでも署名は増えているという報告もある。残留孤児などという理不尽な呼び方をされ、未だに長い苦しみに耐えている人たちは私と同世代である。今出来ることを、ともかく、すぐしなければならないと思う。アフガニスタンのある映画監督は「もし地雷の代わりにそこに麦を埋めていたならば、もし爆弾の代わりに本を降らせていたならばアフガニスタンの状況は全く違っていたでしょう」と語っている。 |
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■ 2002.3.12 Tue. 仙台市東京事務所で2004年の国際音楽コンクールの運営委員会。仙台フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督であると同時にコンクールの運営委員長でもあることが時々微妙なバランスになる。それとは別に、どんなことがあろうと公平公正を貫くことこそがコンクールを成功させる最重要点であると考える。第1回で様々な経験をしたが、それが油断を生んだりする事の無いよう自分を厳しく点検しながら再出発である。 |
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■ 2002.3.14 Thu. 新幹線浜松駅前のアクト・シティという立派なホールで協奏曲を主題にした中村紘子さんのセミナー。浜松国際ピアノコンクールの事業の一つだが中ホールの舞台にピアノを2台並べ、その後ろに12人のアンサンブルの人たちに座ってもらって、中村さんの講義の進行を所々で私とアンサンブルがお手伝いする。教材はベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番、ショパンの1番、チャイコフスキーの1番。短い休憩を挟んで2時間では時間が足りない、もったいないという声が多かったが世界中から集まった若いピアニストたちに混って音楽好きの方たちもたくさん客席にみえて楽しんでおられた。 |
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■ 2002.3.15 Fri. 午後、名古屋の性高院(しょうこういん)というお寺に伺って住職にお目にかかる。10年後の2012年は法然上人没後800年に当るので、それを記念して新しい音楽作品を作れないだろうか、というお話である。住職はかつて大阪フィルハーモニー交響楽団のチェロ奏者であり、その頃私もずいぶんご一緒に演奏したのだが、その後ドイツのオーケストラでも何年か演奏しておられたのだそうである。そういえば来年(2003年)彩の国さいたま芸術劇場で始まるピアノ協奏曲のシリーズも第1期として5年、第2期5年あわせて10年間の計画を立てているのだから、今から若返るのはちょっと無理としても、節制して少なくとも現状維持しなければなるまい。タイヘンというより楽しみだというのが実感。 |
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■ 2002.3.17 Sun. 夕方から大橋ゆりさんと高橋啓三さんがみえて食べたり飲んだりしながらおしゃべり。本当に楽しい時間だった。なにしろ2人暮らしでもギリギリの狭い家だから、ともかくゆったり座っていただく為には普段散らかし放題の部屋を片付けなければならないが、こうしてお客様がいらし下さると家の中がすっきりきれいになる。 |
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■ 2002.3.22 Fri. 昨日からもう桜がずいぶん咲いている名古屋へきた。 午前、脳ドックに行く。ガーガー、ドンドンとうるさい狭いトンネルのような所に押し込められているのに気持ちよく眠ってしまったらしい。特に気になるような欠陥は無いようだ、とのことで一安心。夜7時、愛知県芸術劇場コンサートホールで「村上満志謝恩コンサート」。村上満志さんは東京都交響楽団のコントラバス首席奏者として長い間、都響の豊かな響きを支えてきた。去年4月、縁あって仙台フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者になり、私ともいっそう頻繁に演奏してくださる立場になったが、1990年から私の指揮する愛知県立芸術大学音楽学部のオーケストラの講師としてコントラバスを現場で指導するだけでなく、その豊かな経験を通じてオーケストラ全体を見渡して始終貴重な助言をし、指導してくださった。1996年からはコントラバス科の講師になられたのだが、どういう理由からか、非常勤講師は6年で交代するという奇妙な習慣を弦楽専攻科が固持して譲らないので、この3月で退任ということになってしまう。村上さんが講師になられてからコントラバスの学生諸君の能力は目に見えて向上し、意欲的な演奏が日常となり、集中力も飛躍的に高まった。このような実績のどこに「6年で交代」に固執する理由を見つけられるのか理解に苦しむが、同じ大学内でも管楽器、打楽器ではそのような奇習は存在しない。但し声楽科やピアノ科は弦楽器同様とのこと。この奇妙な習慣は「教育」ということの本質を忘れたものだし、合理的な説明は不可能だろう。東京芸大でもやっている、などというくだらぬ言い草は通用するはずも無い。それはともかく、この謝恩演奏会は村上さんの退任を惜しむオーケストラの学生たちが言い出したものだそうで、村上さんがアマチュアのオーケストラなどを指揮なさっていることを聞きつけて、それじゃあ私たちを指揮していただこうということになったとか。普段から熱血漢の村上さんが更に燃えに燃えたことは言うまでも無い。オーケストラは定期演奏会を凌ぐかと思うほどの大編成。ビゼー;「カルメン」第1組曲、モーツァルト;ヴァイオリン協奏曲第5番(独奏は名古屋出身で現在東京都交響楽団コンサートマスターの山本友重)そしてブラームス;交響曲第4番。始めから終わりまで、隅々まで村上さんのはっきりした意思、表情、意欲が漲っていてとても気持ちが良い。時々、力が入りすぎるので外見は全部が「とてもカッコよかった」とはいえないが、音楽そのものと真正面から向き合って決して脇見をしない、このような真摯な演奏に最近は出会っていなかったな、と思わせた。素晴らしかった。オーケストラも見事に村上さんに応えた。村上さんは素晴らしい音楽家であることを改めて実感した。しかし内容が濃すぎて少々疲れた。 |
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■ 2002.3.25 Mon. 岩城宏之、木村かをり夫妻とホテル・オークラで待ち合わせて食事に行く。何となく岩城と二人で食事のつもりで出かけたら、当然家内も一緒のはずと言われて急に呼び出す。西麻布の美味しいイタリア屋さんで4人でゆっくり話し込む。もう50年近い付き合いだが、こんなことは初めて。楽しかったから不定期にまたやろう、ということになる。指揮者の勉強っていったい何をどうすればいいのか、という二人の間でいつも出る話も勿論出たし、暗譜をするしないの話、昔の指揮者はいかにすごかったかの話、等々、誰かが速記でもして暴露したら抱腹絶倒に違いない。 |
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■ 2002.3.26 Tue. 午後、池袋芸術劇場の会議室で日本演奏連盟の理事会。伊藤京子理事長は会議なんか出なくてもいいわよ、と陰ではおっしゃってくださるが、1年に1度くらいは出席しないと申し訳ない。日演連もご多聞にもれず財政問題が重要課題、そして、それには会員の高齢化も無関係ではないのは他の諸団体と同じ。夜、梅田俊明さんと仙台フィルについて電話で長話。 |
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